東行庵の4回目の投稿となります。下関旅行記最終回です。
前回に引き続き東行庵敷地内から何点かをご紹介します。
東行庵の敷地内には「奇兵隊および諸藩士顕彰墓地」があります。
奇兵隊士の多くは十代、二十代で妻子もなく、墓は無縁仏になり記憶から忘れ去られていった状況を嘆いた東行庵三世谷玉仙尼が、昭和四十二年の晋作105年祭の記念事業として、晋作の眠る東行庵の清水山を造成し、各地に散らばっていた墓碑を集め供養しました。 (「奇兵隊および諸藩士顕彰墓地」一坂太郎著 東行庵刊より)
全部で百基以上の墓があります。墓の写真は撮影するのは気が引けたので、写真は数枚しか撮影しませんでした。
白石正一郎の墓碑
奇兵隊を金銭面で支えた(奇兵隊会計方)白石正一郎の墓碑です。
隣にはずっと他の隊士の墓が並んでいます。墓地は5つ以上のこのようなブロックから構成されています。
聖観音菩薩像
奇兵隊および諸藩士の霊を慰めるために建てられ、昭和四十八年に開眼式が行われた。
晋作歌碑
慶応元年(1865年)に下関新地町に日本で最初の招魂社を創建したときに、亡き同士をしのんで詠んだ。
司馬遼太郎文学碑
以上で下関旅行記終わりです。 今度は、どこ行こうかな。
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