道のりの困難な旧本城をあとにし、次は尾崎丸跡です。
尾崎丸跡
尾崎丸、満願寺二王門のあった峰の中腹を堀切で隔て、その先端も本城との間の鞍部を利用して三条の堀切で隔てた独立的な曲輪郡である。
中心の尾崎丸は、長さ42m、幅20mと、この曲輪群中最大の曲輪で、北側は堀切と土塁で画し、土塁上段に一段、下段に約3mの高さをもつ二段の小曲輪を配置し、さらにその下には約2mの差を持って、小さな付曲輪と最大な帯曲輪を配置し、守りを固めている。
なお、尾崎とは毛利隆元が尾崎殿と称されていることから、隆元の居所と考えられる。
平成四年三月 吉田町教育委員会
堀切とは山城によく登場してくるもので、要は敵が容易に攻めて来られないように、山の尾根と城の部分を分けるように掘られた堀です。
・位置関係はこちら(PDF)をご参照ください。(⑧尾崎丸の堀切)
(つづく)
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