そういえば、萩の反射炉や、松下村塾が世界遺産の勧告を受けたようで、大変喜ばしいニュースです。今日の郡司鋳造所阯も世界遺産の中には含まれていないですが、幕末当時の洋式大砲を製造していた場所ということで大変興味深い場所です。
ペリー来航後、長州藩は郡司家の細工場を大砲鋳造所とし、郡司喜平治を大砲鋳造用掛に命じたと案内板にはあります。道路の新設などの関係で実際の場所からずらして、郡司家の鋳造所のあった場所の一角をひろばとし、発掘調査の発見物などから、できるだけ忠実に再現したそうです。
復元された鋳造場所全体像
溶かした鉄を、このくだのようなものを通し、
上から鋳型に流し込む
郡司家が鋳造したであろう大砲のレプリカ 下関戦争で米英仏蘭の連合艦隊に報復を受けた時に、戦利品として持ち帰るか、破壊されたためにほとんどが行方不明らしいです。
ここで作られた洋式大砲が、下関戦争で使われたようですが、よく外国人が上陸している当時の写真を目にします。そこに写っているたくさんの大砲がここで造られてたと思うと何か感慨深いものがあります。
(づづく)
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