次は嘯岳禅師の墓です。
嘯岳禅師(しょうがくぜんじ)は二度も明に渡り修行を積んだ僧で、元就はしばしば吉田に招き入れ、また元就の逝去に際しては葬儀の導師をつとめたそうです。また毛利輝元が元就の菩提を弔うため吉田城内に建立した洞春寺を開きました。
嘯岳禅師の墓
いろいろ調べてみると、洞春寺は元々この吉田の城内にあり、関が原の没後毛利家に従って山口に、次に萩城内に、明治2年に現在の山口市内に落ち着きます。
また、秀吉の朝鮮出兵の際嘯岳禅師は、小早川隆景に従って朝鮮半島に渡ったそうです。その際持ち帰った、古い書物は洞春寺開山嘯岳鼎虎禅師手沢本として山口県の文化財になっています。
(つづく)
この記事へのコメントはありません。