前回の薬師院に続いて、後編は松連寺です。
松連寺は備中兵乱で三村元親が自害した場所としても知られています。
東向山 松連寺
真言宗御室派仁和寺の中本寺で本尊は大日如来である。現在の寺は明暦三年(一六五七年)市内奥万田より備中松山藩主水谷伊勢守勝隆公により移築されたものである。武家諸法度で城の新築は禁止され修理も難しい時代に、松山城の砦として築いたことは城郭づくりそのままの石垣がよく物語っている。
本堂右にある観音堂には秀吉が朝鮮出兵をした文禄の役(一五九二年〜一五九三年)の総督、岡山城主宇喜多秀家の御座船の格天井と船戸がある。ともに県指定重要文化財である。
松連寺は、薬師院とつながっているので、下に一度降りて来る必要はありませんが、わかりやすいように入口からスタートします。
松連寺の入口ですが、両脇の石垣を見ているとまるで城門のような雰囲気をかもしだしています。
階段の途中から見た石垣です。かなりの高さがあります。写真だけみせられたら、どこかの城郭だと思って、これが寺だとは思わないでしょうね。
本堂です。これもかなり古いようですが、江戸時代に移築されたままの姿なのでしょうか?
本堂の脇に、小さな人の形をした仏像が見えます。わかりますか?現地にいる時は気が付かなくって、帰ってきてから写真を見て気づきました。
薬師院と松連寺はつながっていますが、その途中に金毘羅堂という、これもまた古い建物があります。
本当は詳細な情報をもっと知りたかったのですが、ネット上にはあまり情報がありませんでした。詳しい人いたら教えて下さいね。
次回は、備中松山城の城下町をご紹介します。