さて、備中松山城周辺スポット4回目ですが、残りはタクシーの運転手さんのおまかせで周ってもらうことにしました。最初は頼久寺です。
天柱山 安国頼久禅寺
臨済宗永源寺派で本尊は聖観世音菩薩である。
足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つである。
境内左奥には寺号になった中興の開基松山城主上野頼久公の墓と戦国期織田信長の中国制覇と毛利一族の中央進出の戦である備中兵乱で、天正三年(一五七五年)に悲運の死をとげた備中松山城主三村元親公の墓、一子勝法師丸の墓、父家親公の墓がある。国指定名勝の庭園は備中国奉行小堀遠州公の初期の作庭(一六〇五年頃)である。
案内板より
頼久寺も石垣の上の土塀に囲まれた中にあります。
頼久寺入口の門
さて小堀遠州作庭の庭園ですが、小堀遠州は茶の湯・造園などに通じた芸術家として姿と、忠実な幕府の官僚としての姿の二面性を持っていた人物のようです。
この日は結構暑かったのですが、縁側に座っていると涼しい風が流れていました。
「サツキの大刈込で青海波を表現しています」と説明にはありますが。中央部分がその部分にあたるのですが、確かに、漢字が示す通り、刈り込みのラインが波をうったように見えますね。
「鶴島は、山村の石組みを中心に周囲をサツキの刈り込みで中島景観を表現している」とありますが、こちらも中央部分がそれにあたりますが、池とか湖に浮いている小島に鶴が数羽とまっていて休憩しているような姿を表現しているってことなんでしょうね。
自分にはワビサビとか芸術センスがつくづくないとこういう時感じてしまいますが・・・
小堀遠州が作庭したもので現存するものを調べてみました。
二条城の二の丸庭園
金地院庭園
京都御所内の仙洞御所
(つづく)