前回は備中松山城でしたが、午前中にほぼ見終え、午後は、レンタサイクルで高梁市周辺を散策しようと思い、備中高梁駅まで戻ってきました。
午後は高梁市周辺を散策だ!と心に決めていた私は、下調べしておいたレンタサイクルをやっているという駅近くの観光協会に向かいました。しかし、「今全部出ちゃいました」との事。そういえば、店に入るときに1台出てったな。あれが最後だったか・・・。
予定が狂った・・・。歩いて周るのはつらいしなぁ。結構暑いし。しょうがない、出費覚悟でタクシーでまわろう!
という事で、観光協会の人にタクシーを呼んでもらいました。運転手の方に行きたいところを2、3箇所行って、特に城下町は運転手おまかせで周ってもらうことにしました。
観光協会の人に聞いてわかりましたが、私みたいに交通機関などでいっきに駅まで戻ってくるのではなく、備中松山城から徒歩で降りてきてそのまま城下町を周って駅に向かった方が効率よく周れたようです。やっぱり、観光協会の人に聞いてから旅はするもんですね。
さて、この後高梁市周辺のスポットを紹介いたします。
山中鹿介の墓
最初は山中鹿介の墓です。タクシーの運転手さんにはここは絶対行ってくれと頼んでおいた場所で、一番最初に行ってくれました。高梁川沿いにひっそりと建てられています。
山中鹿介(山中鹿之助)というと、毛利元就時代の月山富田城攻めで元就の次男元春との戦いや、尼子再興を狙った備中騒乱での戦いなど、尼子氏に使える武将としてあまりにも有名です。
山中鹿介の墓(市指定史跡)
山中鹿介は天文14年(1545)現在の島根県に生まれ、尼子氏に仕えて数々の武勲をたて尼子十勇士のひとりに数えられました。「我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈ったという故事は有名で、尼子市滅亡の危機に播州上月城に拠って再興を志しましたが、毛利勢に攻められ、ついに落城しました。鹿介は捕らえられ、備中松山城へ護送される途中、ここ阿井の渡場で不意打ちにあい惨殺されました。現在の墓碑は正徳3年(1713)松山藩主石川候の家臣前田時棟が建てたものです。
環境省・岡山県
この敷地の向こう方に川が流れており、そこが渡し場が遭った場所です。さらに足を伸ばすと観泉寺という寺があり、こちらには位牌や胴塚がありますので時間がある方は行ってみると良いでしょう。
近くには高梁自然公園があり、遊歩道なども整備されていて、ハイキングや散策には良い場所です。 レンタサイクルであればぜひ行ってみたかったのですがね。
つづく